《自殺に対して2 》【03年08月15日(金) 11:02】

7月21日付けで書いた「自殺に対して」のその後。

8月7日の新聞に件の自殺志願者の書いた記事が載った。
励ましの便りや新聞への投稿に対してのお礼の記事で、私は自分が恥ずかしいなと思った。
21日に私が書いた記事ではある女性が匿名希望と書いており、それに不信感を持つのは私だけではないと偉そうな事を書いてしまったのだが、自殺したいと言っていた女性は「心配してくださっている」と感激したと素直にお礼を述べていたのだ。

匿名希望としていた女性は「名前が出せる。だから大丈夫」と言っていたのだが、よく考えてみたら名前という事だけではなく、自分の体験や心情をああやって新聞とか公の場所で書く事ができるということ自体が重要であるという事に気付いた。
自殺してしまったほとんどの人が己の辛い心情を誰にも話せず、それを一人で抱え込んで自殺してしまうのである。
第三者に話して、或いは書いて読んでもらうところまで行き着く事ができれば救われる第一歩となる。
私はそう思っている。

私自身が己の感じている辛さなどに押し潰される事無く生き続けられるのは、まさにこの「書く」という行為が出来る人間だからなのではないかと思っている。
誰かを攻撃するのではなく、ただ自分の思い、辛さ、考えを書き綴る事で人というのは何とか生きていけるものなのだ。
話せない辛さ、書けない悲しみ、それは何と自殺志願者にとって不幸な事だろう。
だが、話すという行為も書くという行為も自分が動かなければどうしようもない事だ。
誰かが代わりにやってくれる事ではない。

この自殺志願者「だった」女性はやはりこう言っている。

「どんな言葉でも傷ついてしまう」と。

彼女も自分から話しに行ったそうだ。
友達や親ではなく、カウンセラーという赤の他人に。
彼らは彼女の話を真剣に聞いてくれ、そして一言「辛かったね」と声をかけただけだという。

そうなんだなと。

ああすればいい、こうすればいいではなく、ただ聞いてあげる。一言声をかけてあげる。それだけでいいのだと。
それでやはり気付いたのだが、彼女はすでに立ち直っていたので今回の自分の投稿に寄せられた諭すような文章にも傷つくということはなかったのではないかと。

親や友達に話せればそれに越した事は無い。
だが得てして辛くて辛くて仕方ない悩みというものは、肉親や近しい人には話せないものだ。
何故なら悩みを話す事で大切に思っている相手を困らせたくない、嫌われたくないと思っているからなのだ。だから話せない。
このようなネットなどだと見知らぬ誰かに己の気持ちを聞いてもらえる。
だからネットの交流は、時として自殺を助長してしまう時もあるかもしれないが、確実に悩める人を救う事もあるという事で、無くてはならない存在なんだと私は思う。

最後に書かれたこの言葉に、私自身も救われたような気がする。

「本当にありがとうございました。私は大丈夫です」

きっとこの人は大丈夫。
そう確信した晴れやかな日だった。

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