《愛も憎しみも》【2004.10.14 11:49】

次の言葉は拾ってきた言葉だ。

『ああ僕は空想の王であり幻の奴隷である』
                       by 横溝正史氏の言葉


ああ私は空想の申し子であり幻の支配者である。

そう思うことは不遜な事であるとしても、そう思わずにはいられない。私は物語る人になりたいから。
人の見る現実は幻───人の見る幻こそ真実。
私はそういう想いに囚われた人間。
それは普通人には理解不能。理解などできないし、もう理解してもらおうなどとは思わないよ。


ある人の呟きを見て思った。私の本当の気持ち。一人がいいいのか一人が嫌なのか、よくわからないなと。
大勢で楽しく過ごすことは人並みに私も好きだ。だが、そのあとの反動がかなり辛い。楽しければ楽しいほど、失われたときのことを思うと辛いし、それに、私は自分でも自分がかなり「イタイ人間」だとわかっているので、他人のなかでのこっけいな自分を、どこか冷めた目で見ているところもあったりして、そのことがさらに自分を自虐的に追いつめていくような気がしているんだ。だから、人の中にいたくない、となる。

以前にも書いたが、他人との距離をうまく取れないからそういうことにもなるのかもしれない。よくはわからないのだが。
つまり、単純に生きれないというのが一番問題なのかもしれない。だが、単純に生きたいと心の底では思ってないのかもしれないとも思う。
すべての感情を持ち続けること───愛も憎しみも喜びも悲しみも痛みも辛さも何もかも。
それはもちろんすべての人が持っているものであり、持ってない人はいないと思うのだが、いい感情については誰も何も言わないが、悪い感情については「なくそう」としたほうがいいと言うよね。

だが、それを持ち続けることはいけないことなのか?

という思いがどうしても拭い去れない。
憎む気持ち───なくしてしまってはいけないような気がする。増大させることは危険だが、まったくなくすことは、ね。
どこらへんまでなくすか───それが問題ってことか。

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